NECとパナソニックの携帯事業が合併しない理由

Life is beautiful: 「パラダイス鎖国」と「レイオフのないリストラ」と

日本の会社はなんかで撤退しても首を切らないというのがいいことなのか悪いことなのかは正直微妙なところだと思う。社会構造とも関わるからなんとも言えない。

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それはそうとこのエントリーで気になったのは「「余った人たちの受け入れ先が見つからない」という理由で思い切った経営判断ができない」の例としてNECパナソニックの携帯事業の話が挙がっていること。

個人的にはNECパナソニックの携帯事業の協業はとうの昔に合併なんていう話には向かわない方向になってると思ってる。NECは自社のLinuxのプラットホームに力を入れているが、パナソニックの方はおさらく携帯電話のプラットホームにこだわりはなく、買ってくればいいと思ってるんじゃないか。

パナソニックにとってNECは3Gのプラットホームを提供してくれるパートナーに過ぎない。こう思ったのはパナソニックが海外でS60の端末を売っていることを知ったときと、auに参入したときだ。パナソニックau向けのソフトウェアはカシオ日立のものらしい。「パナソニックらしさ」が出せれば下回りなどどうでもいい、というのがパナソニックの本音ではなかろうか。

FOMAでのNECとの協業をはじめてしまったばかりにパナソニックがずるずると携帯電話事業を続けているという解釈をすると、結果的に縁を切れず人も切れない…という感じになるので、中島さんの指摘は正しいような気もするが、ちょっと強引すぎてひっかかるなぁ。

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一方で、ソニーが携帯電話事業をエリクソンとくっつけたのが正しい、という点にはすごく同意する。エリクソンの下のレイヤーの技術とソニーのデザインやUIが綺麗に融合し、信頼感と革新性の両方があるブランドが出来上がった。

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日本の携帯電話関連の協業や役割分担はかなりぐちゃぐちゃで不安定な印象だ。三菱の撤退はその一角が崩れた、ということを意味する。そもそもソフトウェア基盤だけ協業して端末は別々の名前つけて売りましょう、ってところに無理があったのかもしれない。

強引に名前をつなげて「三菱富士通」とか銀行みたいな名前で売られても困るけど。