2011年3月11日からの世界。

3月11日、生まれてから感じたことのない地震を味わいました。

僕はあくまで関東でずっと生きている人間です。実際に津波で多くの犠牲者が出ているのは茨城から東北地方の太平洋側の地域ですし、東京電力原発の事故で最も苦しんでいるのは福島の人ですが、正直に書いてみたいと思います。

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会社で避難訓練があったのは地震の数日前でした。一度目の地震でグラウンドに一時避難し、二度目の地震でさっきまで自分がいた建物がものすごい揺れているのを見ました。高層の建物ではないはずなんですが、免震構造だからか、今でも強めの余震でやたらと揺れたりします。

地震当日は夕方、歩いて帰る覚悟を決めました。一緒に帰ったのは近くに住んでいる同期でした(1人ではツラかったと思う)。会社を出たのは夕方6時、徒歩4時間、バス1時間、帰宅したのは11時。歩いたのは18kmくらいでしょうか。

それから2週間弱。余震はあるし、原発は怖いけど、少しずつ生活が戻りはじめた、というところ。

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すごく無責任に言いますが、原発、怖いですよねぇ。放射能って言葉がよくわかんなくて怖いじゃないですか。ネットでいろいろな記事を読んでも、わかったようなわからないような感じがある。

僕は1981年生まれですが、子供の頃見た映画って、核戦争とか環境破壊とかで地球が滅亡するのを防ぐ話ばっかりだった気がします。まあ、最近もインディペンデンスデイみたいな地球滅亡系映画はありますけど、ちょっとテイストが違って、ナウシカとかターミネーターとか、暗い世界のものが多い。

それってきっと公害、核実験、冷戦など当時の実際の「危機」を反映したものだったのだと思うのですが、僕らの世代はそのとき子供だったので「危機」を体感したことがありません。関東にずっと住んでる僕には、阪神大震災の恐怖もわかりません。

なんだかんだで僕が生まれてからの30年弱は、(少なくとも僕の周りでは)平和で安心して生活できる日々が続いていたと言えます。

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そんなわけで、僕個人としては、生まれてはじめて体感する「危機的状況」です。僕の場合、自分の実家も妻の実家も千葉で、半径40kmくらいの範囲に全てが集中しているので、いろいろ心配、というのが正直なところ。

でもまあ、現実には、何を言っても原発に関する危機の解決は専門家に任せるしかないわけですし、不安を煽るメディアその他も含めて、最終的になんとか良い方向に進んでくれると信じるしかありません。

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怖がってデマを流しちゃう人などはもちろんですが、うまく受け流そうと生活している人も含めて、地震が起きてからずっと関東にいる人って、実は結構ストレスが溜まってるんじゃないかなぁ、と思います。

逃げる場所がある人は怖いなら一時的には逃げればいいし、買い占めたい人は買い占めればいいと思うんですよねぇ。所詮、ストレスを解消するための行動に過ぎませんし、ストレスというのは人が生きていく上で非常に重要な問題です。

地震のあと、テレビなどのメディアにずーっと触れて生活していたら、一定の割合でそのような行動をしてしまうのは、仕方ないと思うんですよ。僕も土日はテレビずっと見てましたけど、怖かったですから。

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もし、パニック映画的に生死が分かれる状況になっていたら、本当にかなりどうしようもないことになってるはずですが、テレビで煽ったことに対して一部が騒いでる程度ならなんとかなるんじゃないかなぁ、と感じています。

まあ、ナウシカの風の谷の住人のように逃げる場所もなく腐海の浸食に怯えながら細々と生きるような感じにならないとも限りませんけど、その時はその時です。