国立新美術館 アンドレアス・グルスキー展

DSC09038.JPG
感想を書かれている方がいて気になったので見に行ってきました。アンドレアス・グルスキーという方は、地球上に存在する最も高い写真を撮った(作った?) 人、なのだそう。

撮った(作った)と書いたのは、彼の写真は複数の写真を合成し、さらにデジタル加工を施したものだからです。展示されている写真の多くは、地球上にあるどんな高性能なカメラを使っても撮影できない。その一方で、人間の記憶の中には存在しうる風景、そんな写真です。
DSC09040.JPG

上のホームページのトップページにある「99セント」という作品は、構図がCGっぽい感じがありますが、展示されているそれぞれの作品が表現する「現実感」は多種多様です。

会場内で目立つ、大きく引き延ばされた写真では、まず俯瞰で見て、近く寄って細部を見て、一回後ろに下がって見て、最後にもう一度近づいて気になるところを再確認する、という見方になります。これは、写真は風景や時間の一部を切り取るもの、という、写真の基本とは異なっているように感じます。その場に行って記憶に写った風景を、そのまま一枚の写真に封じ込めたい。実際にはないものでも、とにかく記憶の中の風景を具現化したい。そういう欲求によって作られた写真、という印象です。

実際にはそこにアートであるための「嘘」が盛り込まれているわけですが。

一枚の写真に封じ込めらたものは、空間だけでなく、時間もあって、写真の中にある「嘘」は何か、それを一枚一枚考えながら見ていくのは楽しく、最後まで飽きることなく見ることができました。図録もちょっと心惹かれました。

写真は撮影の時系列と関係なく並んでいますが、撮影されたのがいつか、というのは見ていてわかります。撮影されたのが「古い」写真には、レンズの歪みが合成したと思われる部分の端に見えるし、写真の周囲が結構流れていたり、一部だけ妙に荒い質感の部分があったりします。新しい作品だと、細部までカメラ機材としての歪みがなく、逆に絵のような構図に見えて、すごく現実感のないものに感じたりするのが不思議。

色々なことを考えたりしながら1時間半くらいかけて見たのですが、カメラを持った初心者が撮りたい写真って、基本的には「こういう」写真なのですよねぇ、と思ったりしました。

写真が「切り取る」ものなのは、カメラやレンズが「切り取る」だけの能力しかないからに過ぎなくて、根源的には、見たものを、本当にそのまま写したいのですよ。素人が日の丸構図になるのは、写真の基本を知らないからであるのと同時に、見たままに写したい、という欲求に純粋だからでもある。

見たまま、を維持するために、大判カメラで人間の目の遠近感を保ったままもっと広い範囲を写せたらいいなぁ、的なことを一瞬考えたりもしましたが、まあ、機材の大きさ的にあり得ない。でも、それも技術によっていつかは解決して、それが簡単に持ち運べるカメラで実現できる時代が来るのかもしれません。

東京の会期はあと二週間ほどになりましたが、大都会から郊外まで作品のテーマは様々なので、都心の風景に対してカメラを向けている人やそういった写真が好きな人には絶対にオススメです。
DSC09043.JPG