意識低めで写真を撮ることについて考えよう〜その1〜

写真を撮ること自体は上手くなりたいけど、自分を表現したい、何らかの承認欲求を満たしたい、みたいな思いはそれほどありません。
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SNSで撮った写真を公開することはありますが、それは「上手な写真とはなんだろう?」ということを考えるために役立ちそう、というのがきっかけ。

面と向かって「ここがダメ」と言われるのは基本的に大嫌いな人(これは子供の頃、習い事の類を全くしなかった影響なんですかね?)ですが、一度自分のローカルのPCを離れて他の人が撮った写真と並ぶことで気づくことは多いですし、投稿した写真への無言のフィードバックは「やんわり」とした(厳しい?)評価をくれます。

また、カメラやレンズの技術の進歩をウォッチするのは好きですが、買う買わないとは少し違う観点の興味なので、最新技術の詰まったカメラ・レンズを常に使いたい、という思いも、それほど強くありません。

最近進化しているのは高いのばっかりなので、財力的に付いていけない、というのは現実としてはありますし、良い機材を使わせていただくと、「良いなぁ」と思うのですが、新製品をウォッチすること自体は「このカメラ・レンズで撮ったらどんな写真が撮れるんだろう」というのとはちょっと違う、別の知的好奇心を満たしてくれています。
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社会人になった頃に買ったデジタル一眼レフをすっかり使わなくなり、ミラーレスを使うようになってから4年弱経ちますが、去年まではほとんどNEX-6とSEL1670Zの組み合わせで写真を撮っていました。

去年買い増しした超広角のSEL1018は結構使っていて、サブのボディと一緒によく持ち歩いています。一方で、同じく去年購入した望遠のSEL70300Gは大きさからか、持ち出す頻度はそれほど高くないです。APS-Cで使っている分には写りは良いのですが、もっと小さい望遠をカバーするレンズも持っておきたいなぁ、というのはずっと思っていたります。

SEL1670ZもSEL1018も、昨今の高画質・大型化志向からすると、かなり妥協したところのあるレンズですが、それでも、自分の行きたいところに行って、構図を考えながら撮っていると楽しい。自分の写真欲は、これでほぼ満たされていると言えます。

とはいえ、こういった考えを持っていると、(勝手に)肩身の狭い思いをすることになります。

「記録写真と作品の違い」

「周辺部の描写」

「ボケの綺麗さ、レンズの味」

写真好き、カメラ好きが日々熱く語り合うテーマです。

言われれば気になるけど、突き詰めて考えてみると、どれも自分にとって本当に気にすべきことではないことに気づきます。
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では、今手元のPCに入っている、15年に渡って10万枚以上、ありふれた普通のデジタルのカメラで撮影された写真は何のためにあるのでしょうか(続く)。