記録写真から抜け出して「作品」となるような写真を撮りましょう。
記録写真は「抜け出す」ものであり、価値の低いもの。
それは「他人に見せる写真を撮る」という意味では真だと思うのですけど、自分の写真の撮り方からすると、少し受け入れ難い感じのする価値観です。
僕にマッチするのは、おそらく↓こんな感じでしょうか。
「作品」と言えるような写真を撮れるようになりましょう、でも、記録の写真もたくさん撮り続けていきましょう。
趣味で写真を継続的に、長いスパンで撮っていくときに目指すところとして、多くの人にとってこれくらいがちょうどいいのだと個人的には信じているのですが、こう言ってもらえることってあまりないように感じています。
「写真が趣味だ」と宣言した上で、「他人が見ても意味不明だけど、撮った本人が見返せば何らかの記憶を呼び覚ます写真」を、何も気にせずに撮りたい。すごく自然な感覚だと思うんだけど、この行為を積極的に肯定してもらえる機会がない。
記録写真も悪くはないけどね、、、と悪気なく言ってるのは見ますが、それは「積極的に肯定」とは明確に違っています。
一眼レフ、ミラーレスなどの「レンズ交換式カメラ」を買っても、最終的に使われなくなっていくのって、このあたりの「記録」と「作品」の対立軸が、写真教育の過程の中でよく使われるから、っていうのは、割とあるのではないかなぁ、と思います。
世の中には「記録するものって別にないよね?」って人もたくさんいると思うんですけど、そういう人ばっかりが写真を教えているんじゃないかなぁ、というのは、ちょっと穿った見方でしょうか。