僕、学部の時、卒論の提出前日に同期がいる前で先生から思いっきり怒られたりしたのですが、そのときのことを思い出すと、上のリンクに書いてあることは結構思い当たる節があります。
辛い日々でしたが、やっていたことはすごくいい勉強になりました。深くはないですが、コンピュータのどちらかというと低めのレイヤーの世界と1年間戦うことが出来たのはいい経験です。
ただ、修士になってからはあっさり研究を変えました。
変えた理由は「このままこの課題と向き合い続けるのは辛いなぁ」と思ったことにあるんですが、変えるときには基本方針として、
- 学術的な価値がなくてもいいからやりたいことをやる
- 自分で計画を立て、修士論文を書き上げることを一番の目標にする
ということを考えました。
研究室で学術的な成果を継続的に出している研究に関わっていなかったので、自分の成長のために修士論文を書こう、という目標を立てたわけです。
やってみると、自分の甘ったれた性格が存分に発揮され、非常にヌルい修士生活を過ごし、あっさりと修了してしまいました。あのヌルい生活は自分の人生の決定的な何かを決めてしまったような気がしています。良い意味でも悪い意味でも。
こっちのリンクはその続きですが、微妙ですね。ここに書いてあるのって、うまくいっているときには自然と出来ていることであって、ダメなときに無理にでもやればどうにか気分転換になる、というものではないと思うんですよ。
こういった対処療法を覚えるよりも、状況がどうしようもなくなる前に「なんとかする」ということを心がけるしかないと思います。この「なんとかする」というのは、とりあえずの一区切りまで頑張るとか、どうしても無理です、と正直に言うとか、そういうことですね。
自分がどうしようもなく追い込まれているときには、先生や先輩も手がつけられなくなっているわけで、そういう状況になってしまうのは自分だけのせいでも、先生や先輩だけのせいでもないと思うんですよ。
自分が学生の側だったらなるべく早くヘルプ信号を出すこと(下からの行動?)を心がけるべきだし、自分が先生や先輩の側だったら悪循環に入る前にフォローすること(上からの行動?)を心がける。相手側がそういう行動をしなかったとしても、自分は相手のことを考えて行動できるようにしておきたいですね。